吉松隆の作品集(CD2枚)を聴く

GW休暇に入った初日、広尾、六本木、銀座界隈をブラブラして、銀座の山野楽器で、スコアと音楽関連書籍を購入した。その書籍のひとつが、「作曲は鳥のごとく」(吉松隆 著  春秋社 2013)。
還暦を記念して執筆・刊行された本のようで、自伝、自作の解説であるとともに、戦後日本文化の変遷、20世紀クラシック音楽作曲の業界・世界に対する批評も内包した著作となっている。

吉松隆の作品については、1980年代だったと思うが、NHK FMで「朱鷺によせる哀歌」を聴いたときに、他の日本人作曲家にはない緻密な響きに感銘を受けた。その後、音楽雑誌でショスタコーヴィチに関する評論記事(吉松隆 筆)を読んだり、近年、NHK大河ドラマ平清盛」のテーマ音楽を耳にしたりで、私にとって、それ以上、精力を傾けて研究する作曲家ではなかった。

この「作曲は鳥のごとく」を読了して、CDで主要作品のいくつかを聴いてみたくなり、「ピアノ協奏曲≪メモ・フローラ≫。他の小品}(CHAN 9652)と、「交響曲第2番。ギター協奏曲≪天馬効果≫。朱鷺によせる哀歌」(CHAN 9438)の2枚を購入、聴き終えたところである。(この本に書かれた作曲者の想いが、客観的に聴衆に伝わるのかを確認するうえで、著作とCDの同時鑑賞は、良い機会だった。)

結論から言えば、若き日の作品であり、世界的に演奏頻度の高い「朱鷺によせる哀歌」(作品12)のもつ緻密さや、聴衆に与える深い感銘(サミュエル・バーバー「弦楽のためのアダージオ」が与える感銘のような)に比肩するほどのレベルには、他の多くの作品は到達していないようである(全作品を聴く前に言うのも、おこがましいが・・)

多くの作品で「平清盛」で何度も耳にした、高音の弦による、下降・上昇の動機・ハーモニーが現れ、この作曲家のコールサインのようである。とても美しいイメージを与えるフレーズなのだが、何度も使いすぎることには難点がある。著作の中で、作曲家はシベリウスが自分の心の師であると、何度も触れているが、環境音楽的なサウンドは、むしろ、著作の中で20世紀クラシック音楽創作シーンにおける調性復活の動きを象徴する人物として挙げている、ライヒやペルトもさることながら、ウィンストンの影響かも?と、感じた。

ピアノ協奏曲≪メモ・フローラ≫に登場するブリティッシュサウンドは、その起源が、ビートルズよりもさらに以前の、サミュエル・バーバー交響曲第2番、第2楽章冒頭に現れる、タータンチェックのような抑制的な響きにありそうだ。この曲は、第2次世界大戦時に作曲されている。

最近、私はCDを購入する機会があまりなかった。久しぶりのCD購入だった。ほとんどのクラシック名曲は、YouTubeで無料で聴くことができるし、このBLOGに書いた「佐村河内守」の名前でリリースされた作品などは、CDが発売停止になり、YouTubeだけが唯一の音源だからである。しかし、吉松隆作品の曲について鑑賞・調査するようなケースではCD購入が必須であり、今後このようなジャンルの作品のCD購入がふえると思う。実演で一度聴いたことのある、芥川也寸志:「弦楽のための三楽章」が、次の候補だ。