FACEBOOK 2019-12-3 渋谷フクラスと夢の中に現れた「日吉空港」&自作曲

今朝の夢の中で、日吉に空港があってスカイマークが運航しているシーンがあり、目覚めるとそんなことはないと自問するわけですが、夢の中は並行宇宙のもう一つの世界でそこには日吉空港が存在しているのかも知れませんね。
現実の世界に話を戻すと、あさって12月5日に渋谷西口に旧・東急プラザの再開発ビルである渋谷フラックスが開業するそうです。フラックスは「流量、磁束」の意味ではないそうです。これまでマークシティから発着していた羽田空港行きバスはフラックスから発着するようになるとのこと。東急プラザには大きな本屋(紀伊国屋?)があって結構利用していましたが、フラックスの店舗には本屋はないようです。
私の夢に話を戻します。私は夢の中で音楽作品を演奏する光景によく遭遇しますが、これまでは過去の作曲家の作品でした。最近、自分が作曲した2曲の演奏シーンを夢の中で体験しました。交響曲第1番と弦楽四重奏曲です。交響曲のほうでは、第4楽章の中間部のそのまた中間部に、コードは同じだが1オクターブ上に装飾音(木管)を加えたほうがいいという示唆がありました。

 

(12月5日追記)

「フラックス」ではなく名称は「フクラス」だそうです。新名称に対する感想はともかくとして、訂正いたします。空港リムジンバスはフクラスに停車(6日から)は間違いないですが、マークシティへの停車がなくなるのか、そちらにも停車を継続するのか?再確認してみます。まあ、このFACEBOOKををご覧になってる方で空港に行く人は列車利用が大半だと思うし、安くバスで行きたい人は今後も大崎からの利用だとは思いますが。表題も「フラックス」から「フクラス」に訂正しました。

 

夢に現れた調べ FACEBOOK 2018/12/22 2019/10/10

[FACEBOOK 2018/12/22 ]

昨日の朝、目覚める寸前に見た夢に流れていたメロディーは、ホ長調(♯が4つ)で、ヴァイオリン、オーボエコールアングレー、バスクラリネットのアンサンブルでした。ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」やミヨー「フランス組曲」の影響を受けた曲想でした。うまく副旋律等つけてまとめられたら、BLOGにアップしようと思います。

[FACEBOOK 2019/10/10]

昨晩(2019-10-9)、学習院大学でのフランス詩歌曲の数々の演奏の特にピアノ伴奏に耳を傾け、また野平一郎先生の解説は作曲法のうえでも大いに参考になりました。きょう翻訳の手を休めて作曲マシンに向かってみました。もともとピアノソナタ第3楽章冒頭にしようと考えていた断片は、あまりにもショスタコーヴィチを連想させ(例えば交響曲6番の緩徐楽章)、あっさりと廃棄しました。その代わりに、この2018年12月21日の朝の夢を記録していた断片をピアノソナタ第3楽章の冒頭とし、ソナタ形式で展開・再現のうえ、まどろむような終結とすることにしました。ある程度まとまったところでBLOGで公開しようと思っています。

 

 

 

 

ノルディックなサウンドで

外国語としては、スラブ語(ポーランド語、チェコ語セルビア語)が得意。今、特に力を入れているのは、セルビアの文学と歴史の研究です。一方、作曲する際の理想としているのは東欧のサウンドではありません。どちらかというと、ノルディックな、乾いたサウンドを目標としています。

シベリウスに始まって、ヴォーン・ウィリアムズ、サー・アーノルド・バックス、ハワード・ハンソンと続く命脈です。それにオネゲルサウンドとか、教会旋法とかがミックスされます。好きな交響曲としては以下を挙げておきます。

リスト:ファウスト交響曲(ノルディックではありませんが後期ロマン派以降の交響曲群の源泉です)

シベリウス:6番

ヴォーン・ウィリアムズ:5番

サー・アーノルド・バックス:1、7番

ハワード・ハンソン:2、3、4番

オネゲル: 3、5番

室内楽作品としては、ルクーのピアノ4重奏曲と、ラフマニノフチェロソナタです(この2曲はノルディックではありませんが)。

 

 

FACEBOOK 2017/1/4 交響曲第1番 第3楽章を作曲していた時

2017年の抱負は、これまでやってきた事をさらに深化させること。クリミア半島のピラミッドとか、あのあたりの古代史の研究が好きなので、古代セルビアアルメニアアナトリアについて調べ、数年計画で本を執筆することをスタートさせてみたい。一方で、20世紀初頭にパリに集った作曲家達の交友関係を調べたり、音楽の構造を探求した成果を文章にしてみることにも着手したいです。数年計画で取り組んでいる交響曲の作曲も継続。この年末年始、第3楽章(5分20秒。ピアノバージョン)の作曲を完了。(1)メインテーマ(阿佐ヶ谷で直観的にひらめいた)>(2)中間部(北欧の神々のテーマと、メインテーマの変奏)>(3)メインテーマの3部構成からなる(2)中間部の最後のところが、まだ推敲足らずで若干くさい感じがしますが、一応アップロードしてみました(リンク先のページの一番下)。今後、さらなる推敲の可能性もあります。子供(女の子)や、男声合唱らしき残響がする箇所もありますが、自分で声の音信号を入力したわけではなくて、ヤマハの作曲ソフトで、ピアノの音をMIDIファイルに変換すると、このような効果が出てしまうようです。第3楽章も第1楽章と同様、オーケストレーションをするとすれば、ハープ必須ですね。全4楽章のピアノ・バージョンを作曲完了するのは、定年退職後の2018年になると思います。

この第3楽章のテーマは、バーンスタインの映画音楽「波止場」のテーマから影響を受けているようですね。きょう、自作自演の交響組曲「波止場」をCDで聞き直してみた感想です。エンディングは私の曲と「波止場」(マーラー交響曲2・3番のエンディングのような)とでは趣きが異なりますが。バーンスタインの作曲技法は、「波止場」を聞く限りは対位法を多用。鋭い和声と対位法を並列で進行させると、現代(1950年代頃)の感覚を持った曲が仕上がるという教科書のような曲です。

FACEBOOK 2017/10/10 交響曲第1番 第4楽章を作曲していた時

演奏される見込みもないのに作曲中。間近に迫った定年退職後の活動の中心にしようと考えている古代史・古代言語研究を貫徹するための頭の体操目的です。
全4楽章の最終楽章は全体で10分くらいの演奏時間にしようと考えていて、そのパート1(2分40秒)を下記サイトの一番下に載せておきました。このパートの後半はまだまだ手直しが必要です。不要な音符がある一方、必要な副声部が加えられていません。音の強弱調整、最適なテンポ設定もまだ必要です。今後何度か手直しして最終的な状態になったと思った時点でピアノ譜をアップするつもりです。

少し手直ししました。Part1の終わり方が少し華やかになったと思います。

第4楽章第2部を作りました(リンク先の一番下)。これから作る第3部の最初は第一部の繰り返し(オーケストレーションをしたら楽器構成は変わると思いますが)。その後、メインテーマを再現してのマエストーソと最後のアレグロでおしまいの予定(第4楽章全体で10分程度)。還暦を迎える1月3日頃には第4楽章のピアノ譜を完成できるでしょう。未完の第2楽章は2018年3月までには完成したいですね。小田急下北沢駅の地下化(2013年3月)直前に近辺を歩いて第一楽章を書き始める着想を得たので、下北沢の複々線化工事が完了して新ダイヤでスタートする2018年3月に、この曲も全部作り上げたいですね。

(Q) 複々線化協賛で、倍管にされるのでしょうか。

(A) 実演可能な状況になった時には検討します。コントラファゴットも加えたほうがよく、低音の厚みが出てくると思います。

Facebook 2018/2/27の記事 交響曲第1番完成 

FACEBOOKの記事を整理している一環で、この記事を「はてなBLOG」に移しました。交響曲第2番も作曲したいので、交響曲は今のところ1曲のみですが、第1番にしています。MIDI、PDFのダウンロードサイトは、2019年にGeocitiesから、さくらインターネットに移行したので、今では、

http://bernardsstar.sakura.ne.jp/symphony.htm

です。

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Facebook 2018/2/27の記事

5年かけて作曲していた曲が一応完成しました(小田急・下北沢の複々線化工事完成直前に)。全4楽章28.5分です。作曲する過程ではXWSファイルに対して薄っぺらいヘッドホンで細かい音符全てに注意を払いながら操作しますが、XWSファイルをMIDIファイルに変換すると、細かい音符(トレモロ)が途切れたり、高音が耳につくようになる問題点があるようです(昔のソフトを使っているので、今売っているソフトでは解決済みかも知れませんが)。そこでMIDIファイルを再現して聴くだけの時は、高音を吸収する深々とした耳あてのあるヘッドホンが好適のようです。今週末から1週間海外に行く予定ですが、今週中には最後の第2楽章の楽譜(PDF)もアップロードできると思います。第2楽章の中間部は、初めて変ロ短調指定で4度の和声を多用してみました。最初はドビュッシー風に5度を使ってみようと思いましたが、うまくゆかず、4度だとうまくいくようなので、これで行くことにしました。

宅孝二のピアノ曲

宅孝二(1904-1983)のピアノ曲を阿部緋沙子さんの演奏で1曲聞いたことがある。小曲ではあるが、とてもチャーミングで叙情性に溢れた曲だと記憶している。今、日本の作曲家の系譜を振り替える際に、宅孝二の名が挙げられるのは稀だ。民族的・土俗的でないところが日本的でないといういわれのない批判というのか無視とかに作用しているのかも知れない。数少ない音源の中から、私は宅孝二の作品を探求していきたい。