チャイコフスキーとマーラー

チャイコフスキーの偉いところは、前人未到の音楽領域を辺境ロシアで創始達成したこと。先達のグリンカが貴族の血筋で大変に裕福、イタリアで音楽を学び、イタリアで作曲家として活躍したのに対し、チャイコフスキーの生まれた家庭は経済的に余裕がなかった。交響曲第4・5番で国際的知名度を得るまでは、ロシアから離れることはなかった。

チャイコフスキーは、ほぼ全てのジャンルを作曲したオールマイティー。一方、ブラームスは、オペラを作曲していない。
チャイコフスキーから影響を受けた作曲家として、ラフマニノフショスタコヴィチ、シベリウスなどの名前は頻繁に挙げられるが、ドイツ・オーストリアの作曲家の中にも影響を受けた人物は多いと思う。グスタフ・マーラーへの影響としては、アダージョによるフィナーレ:チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」と、マーラー交響曲第9番がまず特徴的だと思う。また、2人とも交響曲第5番の冒頭で、「運命の主題」「葬送行進曲」を管楽器に歌わせ、楽想を発展させていっている。

マーラーの直伝であり、米国の映画音楽にマーラー風の楽想を導入したと(筆者が解釈している)コルンゴルドも、チャイコフスキーから影響を受けたことは明白。

私(筆者)は、東京やその近郊の街中を歩きながら、チャイコフスキーの「くるみ割り人形 花のワルツ」「ピアノソナタ」「交響曲第6番の第2楽章(4分の5拍子のテーマ)」を頭の中で何度も繰り返す。美しい旋律美のテーマと、それにからまる装飾・経過句、和声。楽器法も、秀逸。ロシアのメランコリーへと誘われる。それは、1893年チャイコフスキーの死によって、またロシア革命によって断ち切られた世界かも知れないが、われわれの心の中では永遠だ。

音楽や美の嗜好が、商業主義・国粋主義の嵐の中で、別のいびつな醜悪なものへと誘導されていっている中で、チャイコフスキーのメランコリーの世界を現出・復活させる仕事は大変に重要だ。
もう一度繰り返すが、前人未到の音楽領域を辺境ロシアで創始達成したこと。このことはチャイコフスキーが本当の意味での天才であり、もし神が存在するとすれば、その恩寵の賜物であった、ということを示している。