YouTubeで、
ピエール・ブーレーズ指揮の「
中国の不思議な役人」を聴くことができる。画像として楽譜(完全なスコアが現れるのは一部で、多くは4連譜表)が音楽の進行に合わせて現れる。本日は通信速度が遅く、再生が途切れ途切れだったので、
バルトークの作曲技術を確認する時間をじゅうぶんに確保しながら聴くことができた。
私は、自分で作曲する経験も長くなってきたので、自分が曲を作る際に発見し感じたことと、
バルトークがこの曲を作曲した時に注意したであろう事柄について相似していると思いめぐらしながら。このことは真実である。もし疑問を持たれる方がいたら、ご自分で作曲(少なくとも4声以上の構成で、調性・無調を問わず現代的感覚の曲)を続けてから、
バルトークのスコアを眺めるとよい。
高音や低音の強い衝撃の音は短く、中音域の声部は1オクターブ離した2音の平行移動で、半音階や無調の進行は短いパッセージでピアノの分散和音のように。長くすると、不協和音のもつ良い)部分(現代性)よりも悪い部分(濁り・不快)が強調されてしまうので、分散和音のように速い進行とし、一音・一音はすぐに消え去るようにする。ところどころに
シンコペーションを挿入し変化・意外性をもたせる(
トロンボーンなど低音
金管に
シンコペーション進行の役割をもたせると効果的) などなど。
この半音階あるいは無調の分散和音的な急速なパッセージは、この曲に数多く見出される。きっと
バルトークが楽譜に記入し演奏される前は、彼の頭の中には別のイメージがあったに違いない(西洋伝統和声からの離脱。だが美しく重厚な曲を)。だが、生み出された曲は、24の音の公平な使用とはいいながらも、アラブ音楽のように
微分音まで踏み込んではいないので(そうするとピアノでは作曲できなくなってしまう)、
平均律の束縛から抜け出てはいない。この状態・構成が、その後の現代音楽のスタンダードとなり、この曲の完成(1925年)後も90年以上、「現代音楽」として続くことを、
バルトークは想像していただろうか?