Windows98パソコンのボタン電池交換に成功。作曲を継続

私は、このBLOG記事を書くのに使っているWindows10 ノートPCの他に、1台のWindows98 デスクトップパソコンを持っていて、こちらのほうは、作曲ソフトを使って作曲する事のみに使っています。当然スタンドアローンです。「らくらく作曲名人」というヤマハの作曲ソフト(Win98版)が使用ソフトで、このソフトのWindows7, Windows10版等々は発売されませんでした。そのため後継バージョンを使って新しいパソコンで作曲することができず、この古いWindows98パソコンを延命させることが必要だったのです。これまでに、HDDの交換、メモリー増設、そしてマウス交換(市販のサードパーティー1機種を秋葉原の専門店で推奨いただき、接続に成功)を行いました。
このPCの使用開始から19年目を迎えた今年の7月、Windows98起動時に、CMOS battery failureと表示され、作成したソフトの作成日時に不具合が生じるようになりました。下記のウェブサイト記事を参照し、内蔵された電池が寿命に達したためのクロック機能停止が原因であると推測されました。


そして本日、久しぶりにこのPCの筐体を開け、ボタン電池パナソニック CR2032) を交換しました。この電池の基盤上の位置は作業しにくい部位であり、交換作業のために上方のCD-ROMドライブ、FDDをいったん取り外す必要がありました。古い電池を取り外してみると、電解液によって長い期間徐々に腐食されたせいか、品番が最初読み取れないほどに表面が曇っていました。
新しい電池に交換し、Windows98を起動すると、いったん交換前のエラー表示が出てきますので、F1ボタンで入り、ESCキーをたたいて出てくる確認事項
「SAVE to CMOS and EXIT(Y/N) ?」(http://mbsupport.dip.jp/tra/tra12.htm 参照
にY(大文字)を入力すると、次の起動時からはエラー表示はなく、スムーズな起動になります。当然、コントロールパネルのコマンドで時刻を現時点の正しい時刻に合わせ、私のPCは、完全に元の状態に復帰しました。
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それではなぜ、他の新しい作曲ソフトを使わないのかと言うと、「らくらく作曲名人」の良い特性(さすがヤマハ製だけあって合成音声の質が素晴らしい。楽譜に入力済みの1音1音ごとに音程・音量を変更する変更作業が楽)をとても評価しているからです。FinaleをWindows10 PCで使ってみましたが、このソフトが「らくらく作曲名人」よりも良いと思われた点は、音符が込み入ってくると自動的に1小節の幅が広がる機能と、優れた印刷機能、くらいでした。操作にまだ習熟していないからかも知れませんが、Finaleではピアノ独奏曲を指定できず、ピアノ5重奏を指定して、弦楽4部に音符を入力しないことによりピアノ独奏曲を作曲する必要があります。

私は、これまでに「らくらく作曲名人」を使って、弦楽4重奏曲 Op.1 (2005)、金管6重奏曲 Op.3 (2008)、交響曲第1番(ピアノ音源)Op.4-A (2013~2018) などを作曲してきましたが、今後の曲作り(*)も当面、「らくらく作曲名人」使用ということになりそうです。もちろん、第3、第4の作曲ソフトも購入してトライしてみるつもりです。

(*) まず、ピアノソナタの冒頭の作曲を開始しました。長い時間置いて聞いてみてダメなら新たに作り直し。かなり時間を使いそう。交響曲第2番(表題交響曲にしたい)は、テーマ選定中。


フルトヴェングラー交響曲2番 メンデルスゾーン交響曲5番「宗教改革」

本日午前中は強い雨。出かけることはやめて、昨日買った2枚のCDを聴いた。ひとつは、メンデルスゾーン 交響曲1番、5番「宗教改革」(カラヤンBPO)、もうひとつはフルトヴェングラー交響曲2番(自作自演VPO)。私は40代に無名の曲のCDを買い集め、知られざる名曲を見つけて感動する一方で、「無名だけに作品も未熟」といった曲は数知れずがっかり、ということをかなりやっていた。今の目的は、「無名曲・未熟曲であっても、それなりに作曲上の苦労を追体験でき、自分にとって勉強になる」ということ。
これら3曲は私にとって初めて聞く曲ではないと思うが、かなり長い間聞いていなかった曲。「宗教改革」、FW2とも、最終楽章(第4楽章)の出来が最も良い。「宗教改革」のエンディングのあたりは、マーラー交響曲や、ワーグナーの楽劇に影響を及ぼしたような印象がした。(ついでながら、リストの「ファウスト交響曲」(特に第2楽章)も、マーラーエルガー交響曲の緩徐楽章の重層的な響きにヒントを与えた先駆性をもつ曲だと思っている)。「宗教改革」全体としても劇場性のある曲となっており、歌詞をつければ、オペラ版も作れそうだ。
一方、FW2のほうは、やはり問題作である。管弦楽法はまさにR・シュトラウスの領域に到達した熟達を示し、後期ロマン派・世紀末音楽の趣きをオーケストラの響きで醸し出している一方で、テーマ・メロディー自体が魅力に欠けることはいかんともしがたい。第1楽章は、ずっと以前に作曲されたラフマニノフ 交響詩「死の島」や交響曲第2番(同じくホ短調)第1楽章と同じく弓なり(アーチ)構造をもっている。しかし、ラフマニノフにある、旋律の魅力、響きの新鮮さが、FW2にはない。長大な曲であり、聴衆の飽きとの戦いが、この曲の演奏上の課題であることが明らかな中で、最も長大な第4楽章が、最も音楽に引き込まれ、飽きの来ない楽章だった。エンディングは、まさに、ブルックナーの第7・8交響曲!と、良かったな、と思っていたところ、古典的なダンダンダーンという終止(が疑問)。この曲は、ドイツ後期ロマン派最後の曲という価値はあると思うが、その後、その作風を受け継いで後継者となろうとする者は現れないだろう(アイネムの晩年の作はその陥穽に陥ってしまったのかも知れないが)。
いずれにせよ、フルトヴェングラーは、最も作曲意欲があった時期に、パリとかニューヨーク、ブエノスアイレスとかに行って、異質な音楽の洗礼を浴びていたなら、もっとコンパクトで新鮮でチャーミングな作品を創作していたのではないかと、思われる。

「ベルリオーズとその時代」 ヴォルフガング・デームリング著

西村書店から、池上純一訳で刊行されている。分厚い、衒学的と言えるほどの知識をさらけ出した本で、全体について感想を述べる余裕はないが、
page 180, 181 のノヴァーリスに関する記載が特に興味深い。

「ハイネにとっては、ノヴァーリスの『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』こそロマン主義の精華であった。「この小説では、いたるところに青い花が光と芳香を放っている。ひどく現実離れした登場人物たちでさえ、どこかで一度会ったことがあるように思われ、遠い昔に彼らと心の底から打ちとけ合って暮らしたことがあるような気がしてくるのは実に不思議であり、味わい深いものがある。古い記憶が目を覚ます。・・・・しかし、すべてはわれわれの背後に、なかば忘れ去られた夢のように霞んでいる。」

シューマンにとって真に「ロマン主義的なもの」とは、あくまでも「ポエジーの香りのするもの」でなければならなかった。」

「Novalis  本名 Georg Phillip Friedrich Leopold von Hardenberg (1772-1801) は、神秘的な幻想の世界を描いたドイツ初期ロマン主義の代表的詩人。『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』は、青い花の夢を見て、それをこの世に探し当てるのが自分の使命であると信じた主人公が、旅の途中でいろいろな人に出会い、さまざまな体験を重ねて詩人としての自覚を高めていくという、中世を舞台にした教養小説。」

「「名状しがたい魂の内奥を音によって」表現する「真の」ロマン主義シューマンのいう「繊細なドイツ人」のロマン主義




チャイコフスキーとマーラー

チャイコフスキーの偉いところは、前人未到の音楽領域を辺境ロシアで創始達成したこと。先達のグリンカが貴族の血筋で大変に裕福、イタリアで音楽を学び、イタリアで作曲家として活躍したのに対し、チャイコフスキーの生まれた家庭は経済的に余裕がなかった。交響曲第4・5番で国際的知名度を得るまでは、ロシアから離れることはなかった。

チャイコフスキーは、ほぼ全てのジャンルを作曲したオールマイティー。一方、ブラームスは、オペラを作曲していない。
チャイコフスキーから影響を受けた作曲家として、ラフマニノフショスタコヴィチ、シベリウスなどの名前は頻繁に挙げられるが、ドイツ・オーストリアの作曲家の中にも影響を受けた人物は多いと思う。グスタフ・マーラーへの影響としては、アダージョによるフィナーレ:チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」と、マーラー交響曲第9番がまず特徴的だと思う。また、2人とも交響曲第5番の冒頭で、「運命の主題」「葬送行進曲」を管楽器に歌わせ、楽想を発展させていっている。

マーラーの直伝であり、米国の映画音楽にマーラー風の楽想を導入したと(筆者が解釈している)コルンゴルドも、チャイコフスキーから影響を受けたことは明白。

私(筆者)は、東京やその近郊の街中を歩きながら、チャイコフスキーの「くるみ割り人形 花のワルツ」「ピアノソナタ」「交響曲第6番の第2楽章(4分の5拍子のテーマ)」を頭の中で何度も繰り返す。美しい旋律美のテーマと、それにからまる装飾・経過句、和声。楽器法も、秀逸。ロシアのメランコリーへと誘われる。それは、1893年チャイコフスキーの死によって、またロシア革命によって断ち切られた世界かも知れないが、われわれの心の中では永遠だ。

音楽や美の嗜好が、商業主義・国粋主義の嵐の中で、別のいびつな醜悪なものへと誘導されていっている中で、チャイコフスキーのメランコリーの世界を現出・復活させる仕事は大変に重要だ。
もう一度繰り返すが、前人未到の音楽領域を辺境ロシアで創始達成したこと。このことはチャイコフスキーが本当の意味での天才であり、もし神が存在するとすれば、その恩寵の賜物であった、ということを示している。

吉松隆の作品集(CD2枚)を聴く

GW休暇に入った初日、広尾、六本木、銀座界隈をブラブラして、銀座の山野楽器で、スコアと音楽関連書籍を購入した。その書籍のひとつが、「作曲は鳥のごとく」(吉松隆 著  春秋社 2013)。
還暦を記念して執筆・刊行された本のようで、自伝、自作の解説であるとともに、戦後日本文化の変遷、20世紀クラシック音楽作曲の業界・世界に対する批評も内包した著作となっている。

吉松隆の作品については、1980年代だったと思うが、NHK FMで「朱鷺によせる哀歌」を聴いたときに、他の日本人作曲家にはない緻密な響きに感銘を受けた。その後、音楽雑誌でショスタコーヴィチに関する評論記事(吉松隆 筆)を読んだり、近年、NHK大河ドラマ平清盛」のテーマ音楽を耳にしたりで、私にとって、それ以上、精力を傾けて研究する作曲家ではなかった。

この「作曲は鳥のごとく」を読了して、CDで主要作品のいくつかを聴いてみたくなり、「ピアノ協奏曲≪メモ・フローラ≫。他の小品}(CHAN 9652)と、「交響曲第2番。ギター協奏曲≪天馬効果≫。朱鷺によせる哀歌」(CHAN 9438)の2枚を購入、聴き終えたところである。(この本に書かれた作曲者の想いが、客観的に聴衆に伝わるのかを確認するうえで、著作とCDの同時鑑賞は、良い機会だった。)

結論から言えば、若き日の作品であり、世界的に演奏頻度の高い「朱鷺によせる哀歌」(作品12)のもつ緻密さや、聴衆に与える深い感銘(サミュエル・バーバー「弦楽のためのアダージオ」が与える感銘のような)に比肩するほどのレベルには、他の多くの作品は到達していないようである(全作品を聴く前に言うのも、おこがましいが・・)

多くの作品で「平清盛」で何度も耳にした、高音の弦による、下降・上昇の動機・ハーモニーが現れ、この作曲家のコールサインのようである。とても美しいイメージを与えるフレーズなのだが、何度も使いすぎることには難点がある。著作の中で、作曲家はシベリウスが自分の心の師であると、何度も触れているが、環境音楽的なサウンドは、むしろ、著作の中で20世紀クラシック音楽創作シーンにおける調性復活の動きを象徴する人物として挙げている、ライヒやペルトもさることながら、ウィンストンの影響かも?と、感じた。

ピアノ協奏曲≪メモ・フローラ≫に登場するブリティッシュサウンドは、その起源が、ビートルズよりもさらに以前の、サミュエル・バーバー交響曲第2番、第2楽章冒頭に現れる、タータンチェックのような抑制的な響きにありそうだ。この曲は、第2次世界大戦時に作曲されている。

最近、私はCDを購入する機会があまりなかった。久しぶりのCD購入だった。ほとんどのクラシック名曲は、YouTubeで無料で聴くことができるし、このBLOGに書いた「佐村河内守」の名前でリリースされた作品などは、CDが発売停止になり、YouTubeだけが唯一の音源だからである。しかし、吉松隆作品の曲について鑑賞・調査するようなケースではCD購入が必須であり、今後このようなジャンルの作品のCD購入がふえると思う。実演で一度聴いたことのある、芥川也寸志:「弦楽のための三楽章」が、次の候補だ。