フルトヴェングラー交響曲2番 メンデルスゾーン交響曲5番「宗教改革」

本日午前中は強い雨。出かけることはやめて、昨日買った2枚のCDを聴いた。ひとつは、メンデルスゾーン 交響曲1番、5番「宗教改革」(カラヤンBPO)、もうひとつはフルトヴェングラー交響曲2番(自作自演VPO)。私は40代に無名の曲のCDを買い集め、知られざる名曲を見つけて感動する一方で、「無名だけに作品も未熟」といった曲は数知れずがっかり、ということをかなりやっていた。今の目的は、「無名曲・未熟曲であっても、それなりに作曲上の苦労を追体験でき、自分にとって勉強になる」ということ。
これら3曲は私にとって初めて聞く曲ではないと思うが、かなり長い間聞いていなかった曲。「宗教改革」、FW2とも、最終楽章(第4楽章)の出来が最も良い。「宗教改革」のエンディングのあたりは、マーラー交響曲や、ワーグナーの楽劇に影響を及ぼしたような印象がした。(ついでながら、リストの「ファウスト交響曲」(特に第2楽章)も、マーラーエルガー交響曲の緩徐楽章の重層的な響きにヒントを与えた先駆性をもつ曲だと思っている)。「宗教改革」全体としても劇場性のある曲となっており、歌詞をつければ、オペラ版も作れそうだ。
一方、FW2のほうは、やはり問題作である。管弦楽法はまさにR・シュトラウスの領域に到達した熟達を示し、後期ロマン派・世紀末音楽の趣きをオーケストラの響きで醸し出している一方で、テーマ・メロディー自体が魅力に欠けることはいかんともしがたい。第1楽章は、ずっと以前に作曲されたラフマニノフ 交響詩「死の島」や交響曲第2番(同じくホ短調)第1楽章と同じく弓なり(アーチ)構造をもっている。しかし、ラフマニノフにある、旋律の魅力、響きの新鮮さが、FW2にはない。長大な曲であり、聴衆の飽きとの戦いが、この曲の演奏上の課題であることが明らかな中で、最も長大な第4楽章が、最も音楽に引き込まれ、飽きの来ない楽章だった。エンディングは、まさに、ブルックナーの第7・8交響曲!と、良かったな、と思っていたところ、古典的なダンダンダーンという終止(が疑問)。この曲は、ドイツ後期ロマン派最後の曲という価値はあると思うが、その後、その作風を受け継いで後継者となろうとする者は現れないだろう(アイネムの晩年の作はその陥穽に陥ってしまったのかも知れないが)。
いずれにせよ、フルトヴェングラーは、最も作曲意欲があった時期に、パリとかニューヨーク、ブエノスアイレスとかに行って、異質な音楽の洗礼を浴びていたなら、もっとコンパクトで新鮮でチャーミングな作品を創作していたのではないかと、思われる。